幼少期、学生時代

ご覧いただきありがとうございます。
TAKUYAです。

時系列で、プロフィールを書いていきたいと思います。

三重県の田舎で、長男として誕生しました。

身体が弱く、ぜんそくなど、病気もちのようでした。

幼少期は、わんぱくだったようです。
保育園の時、雷がなってるのに、屋根のついた外で三輪車を漕いでたというのは親から聞かされて、笑いました。

ご覧いただければわかると思いますが、今まで不器用で悩み多き人生です。

それでは、小学生からどうぞ!

小学生

習い事をたくさんさせてもらいました。
水泳、そろばん、習字、サッカーです。
友人関係は良好で、とても楽しかったです。
主にダンスダンスレボリューションをやっていました。
当時は何も悩みがないと言ってもいいくらいで、楽しかったです。
ただ一つ悩みができました。
一緒に遊んでいた友達が小学6年生から
自分だけ急に喋ってくれなくなったのです。
僕は何で?とか言う訳でもなく、どうしたらいいだろう?と思い、
ただ時を過ぎるを待つのみでした。
今思うと、ここから僕って引っ込み思案だったなと思うようになりました。
家に帰ると、ゲームやテレビばっかしてました。
両親にはよく怒られ泣いていました。
小学生高学年の頃から、異性を意識し始めます。
遊んだりしたことはありますが、何もアクションを起こすことはなかったです。
小学生時代から、おじいちゃんからうちは継がんでいいぞと言われていたので、仕事は違うのをしようと思っていました。

中学生

部活は友達が一緒に入ろうと言ったので、
ハンドボールに入部しました。
部活は人間関係が全学年を経験して良好でした。
とても楽しかったです。
3年生はレギュラーでした。
ただ下手で、最後の大会は全然活躍できてなくて、泣いてしまいました。
練習を真剣にやっていなかったんだなと実感しました。
学生生活はモノマネをしたりして、ヒトを笑かすことに快感を覚えていました。
小学生からもしていましたが、よりここで明確になりました。
中学に入ってから塾に通い始めました。
その塾は友達が多く、とても楽しかったです。
勉強もしつつ、一緒になってヒトをからかってました。
それで何度か先生に怒られたりました。
塾のおかげで、進学校である志望校に見事受かりました。
その塾にはとても感謝しています。
筋トレをブルーワーカーという器具を使い、上半身中心に始めました。
スクワットを自宅でめったにしなかったです。
今思うと、すればいいのにと思いました。
恋愛はシャイで何もできませんでした。

高校生

一気に暗くなります。
それは何故かというと、
まず何人もの異性から陰口で
ふくらはぎが細いと言われたからです。
中学までは全然意識してませんでしたが、ショックを受けました。
でも、ふくらはぎを筋トレすることはありませんでした。
また、サッカーが下手くそだったからです。
中学の時、ハンドボールをしてみて、向いてないと感じました。
もっと真剣にでき、経験のあることをしてみたいと思い、部活はサッカーを選びました。
入ると自分の下手さ加減にショックを受けました。
先輩に怒られたり、同級生からも色々言われました。
小学の時にあったような同性に対して、引っ込み思案になるという現象が起こり始めました。(仲が良いヒト以外)
高校1年生の冬、膝を骨折しました。
入院生活、リバビリとも苦しく、病みました。
がんばり、半年後再開しました。
そこには、後輩が現れます。
今まで以上に心は打ち砕かれました。
からかわれ、見下されました。部活の時、毎日が辛かったことを覚えています。
この経験により、ヒトをからかわうことがなくなりました。(されて辛かったので)
真剣に取り組んでいるつもりなのに、一向にうまくならなかったです。
悔しかった。そして、マイナス思考になりました。
そして、またもや骨折をしました。
何でいつもこうなんだという思いと、辛いことが一つ減るとホッとした思いも生まれました。
最後までサボらず、例え下手でも続けることができたのがよかったことです。
途中で辞めないということは心に決めていたことなので。
全部を含め、公式試合にはベンチ入りもしませんでした。
筋トレはリバビリ中以外は、部活以外では一切してなかったので、しておけばよかったと思っています。
それでも初めて好かれて、彼女ができて、いい経験ができました。
大学受験は、バイオテクノロジーというイントネーションと抗HIV薬を作りたいという志からそれ一点に。
塾も通わず、進研ゼミでやりました。
結果は国立全て落ちました。私立は全部受かりました。
ただ立命館や関西大学、偏差値が高めの大学を受けるの忘れて、とても後悔したことを覚えています。
今でもたまに大学違ってたら、どうなってたんだろうと思うこともあります。
この経験から子供には難しいものも挑戦した方がいいと言いたいと思うようになっています。

大学生

滋賀の田舎にある大学に行きました。
思い描いていた生活とは違い、ショックを受けました。
シャイは加速し、よく遊んでくれた親友は1人で、後は少なめの友達という感じでした。
周りからはオシャレと言われましたが、普段の真顔が怒っているような顔をしていた僕。
(決して怒ってるわけではありません。)
同性に調子乗ってると言われたような気がして、またもや引っ込み思案になったんです。
アルバイトは塾講師を4年間しました。
知らぬ間にヒトを傷つけていると言われ、ショックを受けました。
この言葉は印象に残っていて、はっきり言ってくれたので感謝しています。
塾講師だけで、他にアルバイトをしていませんでした。
たまに派遣という感じです。
派遣の初めて仕事で褒められ、仕事って楽しいと思いました。
大学時代は7割引きこもりでした。
仕事してたら、どれだけ充実してたんだろうと思っています。
これは家賃、水道代、ガス代、電気代、学費全て親が出していて、
アルバイトの収入で生活ができていたからだと思っています。
この経験から子供にも払わせようと思うようになりました。
抗HIV薬を作るという志で言ったのに、勉強もテスト前にしかしなかったし、
授業も主体的に取り組めず、つまらないなと思っていました。
ただPCの授業や、実験の課題などは質問して、自分一人で調べまくって、頑張りました。
情報収集が好きなんだなと思いました。
パソコンどれ買おうかとサイトで長い期間かけて色々調べていましたし。
(結局はケーズデンキで、安いGatewayのノートを買いました。)
大学生活も後半にさしかかり、就職活動が始まります。
僕は8月にオープンセミナーに参加し、あんなにギラギラしたヒトが世の中にいるんだとびっくりしました。
あんなヒトになりたいと思い、研究職から営業職に行きたいと思うようになりました。
就活生向けセミナーを含む就職活動を通じて色んな出会いがあり、連絡先、友達が増えました。
その人脈から50人で無人島にキャンプに行こうという企画を紹介されました。
2つ返事で行くと言い、下準備や打ち合わせ、企画などみんなでやりました。
家を作ったりして、とても楽しかったです。
またそのメンバーの中の40人で、手作りでいかだを作り、琵琶湖を横断しました。
新聞社にプレスリリースを出し、朝日新聞に載りました。
大学時代はこの経験がとても思い出に残っていて、出会えてよかったなと思ってます。
しかし、就職活動で問題が生じました。
自己PRが全く分からないし、履歴書、エントリーシートが埋められなかったのです。
就職活動頑張ろうと行動は早かったが、ネタがなかったのです。
履歴書のフォーマットを作るのに半年かかりました。すでにその時は大手の募集は終わっていました。
とても情けなかったし、悔しかったです。結局内定もらえないまま卒業しました。
ただいい出会いもありました。
人事を担当していた就職活動支援塾の人に出会えたことです。
【人脈は自分が何かしてあげられるヒトのこと。】
【人生は楽しんだもん勝ち。】
【人生は出会いと本気度で決まる。】
という好きな言葉、考え方も頂戴いたしました。
セミナーもとても楽しくて、わかりやすい。
この影響でセミナー講師になりたいと思うようになりました。
ビジネス関係ではダイレクト出版さんでネットビジネスのことを知り、会員になったり、ジェームススキナーさんの音声など聞くようになりました。
そのため自己啓発本もBookoffで105円の本を買い漁りました。
ここから自己啓発好きの男になりました。



以上です!


幼少期や学生時代のしてきたことを以前は後悔してました。

でも、そのおかげで現在があると思っています。

不器用だった自分に、ねぎらいの言葉をかけたいです!

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